都市は、その規模の大きさ、社会や産業や文化の発展基盤、そして人々の生活へのあらゆる影響という点で、人間が作る最大の構造物です。そこには、その国や社会の持つ構想力や、それを実現する戦略的実行力が如実に表れます。
今から約170年前の19世紀中ごろに構築されたパリは、壮大な構想とグランドデザインをもとに、長期的な視野と全体最適を考慮しながら造られました。変化を厭う人々からの反対には法整備で対応しつつ、計画は戦略的に遂行され、その結果生み出された新たな都市は、現在もその当時の形で機能しています。
一方、現在の東京の都市デザインに目を向けると、東京は関東大震災と第2次世界大戦で大きく破壊された後に造り直された新しい街並にもかかわらず、パリとは正反対にそのつど短期的視点で考えられ、追加された部分最適の集合体であるため、都市として統合された機能を持たないカオスの状態であることはご存知の通りです。
この「長期的視点に立った構想力と、それに基づくグランドデザインの構築力の差」も、第2次世界大戦の明暗を分けた大きな理由になっています。
米軍は開戦の時点で日本軍の特性を徹底的に研究して、外地での戦闘から本土へ戦線を追い込み降伏させるという明確な目的(ゴール)を描き、そこに向けて全体最適を意図しながら作戦行動を進めていきました。
ひるがえって日本軍は、日清、日露戦争といった過去の経験から、極めて短期的な志向で、そのうち米国の方が嫌になって講和に持ち込むだろうという程度の見通ししか持っていませんでした。しかも陸海軍がそれぞれ独自の視点や判断をもとに、縦割りの組織で戦略を立て、かつ属人的な作戦を展開したのです。
大局的かつ長期視点と論理的思考、さらに秀でた構想力に基づく戦略=グランドデザインを描いた米国に対し、不明確な目的と短期志向、加えて帰納的で狭い視野、そして陸軍、海軍の部分最適な戦略で戦った日本が敗北したのは、必然的な帰結と言わざるを得ません。